実録 北九州ヤクザ戦争 侠嵐
昭和52年3月30日、福岡地裁において川辺敏幸に死刑の判決が下された。幼い頃に父親のもとを離れ母子家庭で育った川辺は19才となった昭和38年、真田組の組員としてヤクザ稼業に身を投じた。その後次第に頭角を現していくのだが、かねてから恨みを抱いていた小学校校長・藤原を半殺しの目に合わせた事により6年の刑に服する事になる。出所して母からカタギになるよう説得されるのだが…。